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*この記事は、2008年に書いたブログ記事の転載になります。
「自信って、一体なんなんだろうな」
「自分の能力が評価される、自分の人柄が愛される、自分の立場が誇れる―そういうことだが、それより、何より、肝心なのは、自分で自分を“良し”と納得することかもしれない。“良し”の度が過ぎると、ナルシズムに陥り、“良し”が足りないとコンプレックスにさいなまれる。だが、そんなに適量に配合された人間がいるわけがなく、たいていはうぬぼれたり、いじけたり、ぎくしゃくとみっともなく日々を生きている―」
「しゃべれども しゃべれども」(佐藤多佳子著・新潮社)より
もし、みんながみんな、自分を“良し”って納得できたとしたら、世の中の犯罪は今よりもっともっと減ってるだろうね。極端な見方だろうけど、自分を“良し”って思えることは、程度の差こそあれ、“自分はこのままでいいんだ”って思えることだからね。なにも人を傷つけたり、人から何かを奪ったりしようなんて思わないはずだよ。
十代、いわゆる思春期の頃っていうのは、なかなか自分を“良し”って納得なんて出来ないね。勉強が出来る子でも仲間とうまく関係が築けないとか、友達がたくさんいても好きな子には上手く話しかけられないとか、好きな子と両想いになったとしても自分の親から充分愛情を受けていないと思っていたりとか。なりたい自分の夢や理想像にくらべて現実の自分があまりにもふがいなくて落ち込んだりとかね。
みんなと比べて自分がどれくらいの位置にいるのかすごく気になるくせに、集団と同化なんてしたくない、常に個性的な自分でいたい。悲惨な現実を伝えるニュースをみても、しょせん他人事だからと無関心をきめこもうとするくせに、実際に無関心をきめこんでいる大人には無性に腹が立つ。
それが十代なんだろうね。体の成長と精神の成長がアンバランスで、夢や理想はあっても力不足で自分に自信が持てない。自分をうまくコントロールできない。
それから、十代の頃っていうのは、いろんな意味で人生の経験値が少ないから、良くも悪くも、自分がこれまで経験したことで世の中の全てを推し量ってしまおうとするところがあるね。だから、もし今、君が周りの誰かからの言葉や暴力で傷ついているとしたら、これから先も、同じような苦しみや悲しみがずっと続くもんだと思い込んでしまって、世の中、ひいては人生そのものがなんてつまらないんだろうって絶望してしまう可能性もなくはない。君にも思い当たるところはないだろうか?
今、俺、あえてサラリと書いたけれどもね、十代の君が周りから傷つけられて受ける苦しみや悲しみに、たとえ誰も気づかなくっても、君が周りに気づかせないようにしていたって、それが相当に深くてハンパじゃない痛みだってことは、なんとなく想像がつくよ。でもね・・・
ブルーハーツっていうバンドの「トレイン・トレイン」って曲があるだろう。え?知らない? あっさり否定だね。う~ん、昔のバンドだから知らなくっても仕方がないんだけれど、そうきっぱりと言い切られると、ちょっと世代の差を感じるなあ。まあ、それはそれとして・・・
その歌は、こんな出だしで始まるんだ。
「ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない」
「いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない」
俺はね、たぶん、世の中ってだいたいこの歌の歌詞のとおりじゃないかって思うんだよ。実感としてね。だから、今、君はたまたま世の中のいわば暗い影の部分を連続して体験しているだけなんだよ。君より何十年も人生を経験してる俺が言ってるんだから、間違いないぜ。
え?そんな話は信用できないって? しかも、そもそもあんた誰かって? え~、そう言われちゃうとミもフタもないなあ。
しかたない、いまさらだけど、簡単に自己紹介するぜ。俺は現在37歳(♂)の平凡なサラリーマンさ。結婚歴1回、離婚歴ゼロ、現在は妻一人子供は無し。これでも君の人生の先輩だぜ。も少し優しい言葉でいたわってくんないと、リンダ困っちゃう~。ってこのフレーズも全然知らないんだねえ。
え、知ってるけど全然面白くないって? う~ん、なんだか、少しずつハラが立ってきたなあ。それじゃあ俺も言わせてもらうけどさ、そもそも、君のそういう目上を敬わない、無神経な物言いが、君が周りのみんなと上手く関係を築けない理由なんじゃないかな。
たぶん、今、君はかなりムッとしただろうね。ひょっとすると、ちょっとは傷ついたかもしれないな。でも俺、今すごく大切なことを言ったよ。さっき俺はね、君の言葉でカッと感情的になったんだ。要は君の言葉が多少なりとも俺を傷つけたってことだ。たぶん、君はそんなつもりはなかっただろうし、自分の思ったことをただ素直に口にしただけなんだろう。俺もそう思うよ。でもね、人にはそれぞれ目に見えなくても“これを言われると傷つく”っていうタブーの言葉っていうのがあるんだよ。地雷みたいなもんで、うっかり踏んで しまって“ドカン!”ってなることは日常生活では、結構たくさんあるんだ。
たとえば、君だって、カツラを被っている人の前で「ハゲ」なんて言葉は絶対に使わないだろう? でも、その人の前で「いや~寝ぐせが直らなくて」なんて言ったら、かなり高い確率でドカン!だぜ。カツラを被ってる人は、寝癖がつくなんてことはありえないから、そんなことを言われただけで結構傷ついたりするモンなんだよ。信じられないだろうけど。
ね、めんどうくさいだろう? いちいちこの人の地雷はどこに埋まってるのかなんて考えるのもばかばかしい。だからさ・・・
君も気づいて欲しい。人は、不用意な言葉で他人から傷つけられることがある。それは、裏を返せば、自分だってその気はなくても時には人を傷つけているって事なんだ。これはとっても大切な認識だよ。だから、いつまでも傷つけられたことを覚えていてもね、意味が無いんだ。だったら、さっさと立ち上がって、ホコリをはらってさ、また歩き出した方がいい。いつまでも道端で転んでそのままでいたら格好悪いし、周りをハラハラさせるだろう?
それからね、
もし君が、一生忘れられないくらいの深い心の傷を負ってしまって、生きること自体が嫌になってしまったり、自分を傷つけた対象をずっと怨んでいたりしたとしたらね、これだけは知っていて欲しい。それは、
「自分が思っているほど、自分の苦しみは特別なんじゃない。実は同じような苦しみは世の中に想像以上にたくさんある」ってこと。
何も俺は、自分の苦しみが特別じゃないことを自覚するだけで、苦しみが楽になるなんて思っちゃいないよ。でもね、自分と同じような苦しみや悲しみを抱えていて、それにくじけずに力強く生きようとしている人、生きてきた人が沢山いるって知るだけでも、君にとっては生きる勇気を得るきっかけになると思うんだ。
大事なのはね、苦しみが楽になることではなくって、苦しみに立ち向かう勇気を持つって事だよ。それはね、十代だろうが二十代だろうが五十代だろうが同じだよ。って俺はまだ三十代だけどさ。(笑)
君の苦しみが多ければ多いほど、君がそれを乗り越えて強くなったとき、君の生き様そのものが、同じ苦しみを味わっている誰かの勇気になるんだよ。それって凄いことだよ。
でも、そもそも、苦しみや悲しみに耐えて乗り越えられる人っていうのは、どうしてそんなに強くいられるんだろうね。どうしてだと思う? 考えてみてよ。まずは自分なりに。5分あげるからさ。
(5分間思考中・・・・・・・・・)
この話、「十代のきみへ その弐」に続くよ
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